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デジタル財としての音楽への単純な感覚

お久しぶりです。しょごみです。
今回はデジタル財としての音楽がどのように変わるのかということについて、私の単純な感覚をもって書いてみました。というのは大学にて「デジタルマーケティング」なる授業を取っておりまして、そこでデジタル財の話が出たが為にその場でブワーっと思うことを書いた次第です。

というそんな前置きをさせていただきまして、本編始めます。

音楽というもの(それだけじゃないけど)がデジタル財としての立ち位置を確立しつつあるこの頃において音楽の在り方が大きく変わったように見えています。(以後この見え方をタイムラインと称します)⁡
⁡私にはタイムラインが2つ見えています。⁡
⁡その2つとは「残存的音楽産業廃棄物」と「被消費的音楽産業廃棄物」です。⁡
⁡⁡何を言っているのかよく分からないというあなたに向けてもう少し噛み砕きます。⁡
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⁡そもそもストリーミング配信という形で音楽の拡散の仕方が変わった昨今においてSNSというものが大きなキーとなりました。⁡
⁡そうなってくると聴かれ方も変わるわけです。⁡
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⁡ここで2つのタイムラインが生まれたと思っております。⁡
⁡そしてここからは私の偏見が大いに含まれるので、あまり深くは読まないことをおすすめします。⁡
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⁡残存的音楽産業廃棄物というのはいわゆるCD(フィジカルと呼んだりもします)⁡のことであり、こちらの売上はだんだん下がっています。その中でもCDはリリースされ続けます。⁡
そんなCDですが、価値は高まっていると思っています。どういうことかと申しますと、「アルバム」がキーワードです。最近は様々なアーティストの作品でDVDがセットになったりしていて、値段こそそれなりにしますが内容的には非常に満足できるものが多いです。ファンからしたら手を伸ばしてしまうそんなものになっています。⁡
⁡これは映像作品がついてくるという「付加価値」的なものの存在が大きい気がします。⁡
⁡一方でアイドルに多いですが、握手券がついていたりみたいなものはそれ欲しさに何枚も買う方もいるそうで、これに関しては招く結末は非常にわかりやすく、ジャンク品として扱われることに達します。これは正直CD文化の負の面だとおもっております。
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⁡2つ目の「被消費的音楽産業廃棄物」についてです。⁡
⁡これは、SNS上で話題となる音楽にの事であり、メジャーマイナーの境界が「数」では判断しづらくなり、数による淘汰が不可能になったことにより生じたことだと思っています。⁡
⁡これにより、なんとなくできた作品と才能溢れる作品が同じ土俵に立つこととなりました。⁡これを私はこのタイムラインが招いた悪夢だと思っており、これと二次創作については「消費」を感じ、憤りさえ覚えています。⁡
⁡これにより「被消費的音楽産業廃棄物」というタイムラインが私の中で産まれました。⁡
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こんな見え方を音楽に対しては持っていますが、NFTが日本でももっと拡大すれば悪夢は防げるはずなので早く手をつけてもらいたいところです。⁡

という、伝わるような伝わらないような話でございました。
もう少しわかりやすくしたものをまた書けたらな思っておりますが、、、

次回はインタラクティブライブ「ZCON」に参加し、自分の部屋で一人熱狂していた男の思い出話です。

それでは。