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音楽と政治(前編)

ご無沙汰しております、しょごみです。

今回は**「音楽と政治」**これをテーマに話したいと思います。

2 本に分けて出そうと思っておりますのでお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

コロナ禍において星野源さんの"うちで踊ろう"の動画に安倍さんが乗っかって投稿した事で賛否両論上がった頃がありましたね。

あれに関しては僕はやる事に感じては全然やればいいと思うんですけど、何か気持ち悪いような謎の感覚を抱きました。

で、これって何でそんな感情が生まれるんだろうって考えた時に「果たしてこれは政治利用なのか?」と自分の中で感じたんだなという結論に至ったんです。

これを前置きに音楽と政治との関係を調べてみました。

そこで出てきた関係性と自分の思いを書き連ねさせて頂きます。

「音楽に政治を持ち込むな」

この言葉を時々目にします。

僕も以前はそう思ってました。ただ、最近色々考えるとこれって浅い話じゃないなって気づいたんです。

アメリカにエルビス・プレスリーというシンガーがいました。

エルビスは黒人的な歌唱法またビートに乗って腰を振る動作を駆使して音楽を作っていました。これは、1950 年代のアメリカに政治的インパクトを与えました。

人々の人種観を変えたんです。

日本においては 1960 年代、ロックというジャンルが入ってきた当時「不良の音楽」などと称されました。

但し作品を出しているアーティストは政治的意図はなく、否応なく政治性を持つことは今でも多々あります。

僕はこんなことを思うんです、「聞く場所、その時聞く音楽によっても変わるんじゃないか」って。

フランスの思想家はある社会的空間でどの音を選び、聞かせるかという行為に潜在的政治性を持つと指摘しました。

学校で特定の曲で合唱する。

この行為にも特定の形に秩序づけるという点である意味政治的側面ってある気がするんです。

そもそも音楽と政治って切り離すことの出来ない存在なんです。

この事実は覚えておかなければなりません。では今日はここまで。

ということで次回はロックを中心にアーティストの政治性を考えていくところから始めます。

またこんど。