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音楽と政治(後編)

こんにちは、しょごみです。先日音楽と政治というテーマで書いていたものの後編でございます。前回は政治利用という面での音楽を見ていきました。後編ではロックと政治の関わり、またフェスにおける政治的側面を見ていきたいと思いますので今回もお付き合いのほどひとつよしなに。

では早速本題に入ります。例えばロックに関して言えば確かに世に反抗して売れるというのは珍しくありません。

イギリスのバンドにもマスコミから締め出されたにも関わらず、体制への反抗を貫いた結果マスコミの報道姿勢に違和感を持つ人達の支持を得たということがありました。

僕も全然こういう音楽の在り方にも肯定的な考えです

かつて、忌野清志郎さんというアーティストがいました

その方は歌詞に直接的に政治批判のメッセージを織り込んで発信したものが幾つもあります。

例えばサマータイムブルースという曲には反原発の意思が色濃く刻まれたりしてします 「音楽に政治を持ち込むな」という方々の政治って一体何なんでしょう。

投票したり行政が動いているということだけが政治ではないじゃないですか。

日本人の意識って政治的と非政治的をきっちり区別したいっていう思いが強い気がするんです。だからこそ反応が過敏になってしまうのではないかなと思います。

他にもステルスマンというパレード・パンクの期間労働者を名乗るアーティストが 2011 年の東日本大震災時の原発事故を描いた「原子力」という楽曲を P-MODEL の BOAT という作品をパクってリリースしました。この曲の歌詞は極めてストレートなものでありました。ただ、呪文の如く安全と言われたきた原子力発電の大きすぎる代償を描いたような内容になっているため伝わってくるものは色濃いです。このような政治的発言に似たような楽曲をリリースするアーティストがいるということは理解しなければなりません。同時にそれに対して叩くというリアクションはお門違いということも理解しなければなりません。日の丸を扱った楽曲が大いに世の中からバッシングされたということがありましたが、世に出ている以上一つの作品として扱うべきではないかと自分は思っているので。

締めに入る前に少し発展した話をさせていただきます。

これはここ数年で感じたことなのですが、様々なミュージシャンが発する言葉に対しての反応があまりに過敏ではないかと思うわけです。

これに関しては誰がという話はしないので、気になったら皆様でお調べいただければと思います。

コロナ禍に入ってからというもの、社会全体に切迫感が走り空気は明らかにおかしくなりました。その中で政治的な発言をするアーティストの方も増えたように感じます。

個人的に境となったのは Save Our Space というプロジェクトの発足かなと思っています。このプロジェクトにおいて音楽を含む芸術文化を守るという動きが出てきました。これによってそれまでいわばタブー化されていたとも考えられるアクティビスト的活動が解禁されたように感じます。

ただ、このような動きは同時にバッシングの対象にもなりかねません。

自分がこのような事態に思うのは、あくまで一個人の発言に過ぎないのでそこまで大きく取り上げる必要もないのかなということです。こんな意見を持つと「影響力が、、」とおっしゃる方もいるかと思うのですが、影響力が大きいからといって発言を全て真に受けてそれが正しいと思い込んでしまうような、情報収集の力が乏しい方はもっと意識して色々な情報を取り入れるべきではないかと思います。ということを考えているので影響力を盾にした反論はまずそのステップを踏んでからではないかと思います。

アーティストは新興宗教じゃないですからね。それはリスナー側も考えなければなりません。

最後に、

音楽を聴く人達の政治のイメージって狭くて凝り固まってる気がするんでそれを和らげて広く広く見る事が出来るようにする事が大事だなって思うわけです。

アーティストが曲やそれ以外の SNS などで政治的発言をするとファンがやめて下さいと言うそんな風景もみたりします。

これは、政治的イメージを広げていこうとしているんじゃないかなって僕は思うんです。

音楽が古い秩序を壊して新しい感覚をもたらす可能性だって大いにあります。

この事こそが音楽の持つ政治性の本質だと思います。

それでは。またこんど